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■トウショウボーイとテンポイント
第21回有馬記念優勝馬トウショウボーイ
第22回有馬記念優勝馬テンポイント
有馬記念の歴史の中で
一番印象に残るマッチレースは
第22回有馬記念だ。
同世代のライバルは
東のトウショウボーイ
西のテンポイント
初対決は皐月賞。
トウショウボーイはデビューから
3連勝。
テンポイントはデビューから
5連勝。
この年の皐月賞はストライキがあり
東京競馬場で行われた。
関西馬のテンポイントは調整が
難しく太めで出走。
トウショウボーイの2着に敗れた。
日本ダービーもテンポイントは体調が
悪く7着に沈んだ。
トウショウボーイは
クライムカイザーに上手く乗られて2着
に敗れた。デビュー戦から騎乗した
池上昌弘騎手は次走の札幌記念2着も
騎乗したが、次のレースからは乗り替わりと
なった。
秋の大一番菊花賞は
グリーングラスが優勝して
2着テンポイント
3着トウショウボーイ
同馬とも第21回有馬記念に向かった
結果は1着トウショウボーイ
2着テンポイント。
有馬記念初となる
4歳馬(現3歳馬)のワンツー決着。
レースはレコード決着だった。
トウショウボーイは年度代表馬に輝いた。
翌年
テンポイントは天皇賞春に優勝。
トウショウボーイは有馬記念から
休養
■カネヒキリ
明けで宝塚記念に向かい優勝。
テンポイントは2着。
圧倒的に強かった2頭。
第22回有馬記念は出走回避する馬が
いて8頭立て。
レースは逃げたトウショウボーイ
隣に並んでテンポイント。
スタートから直線まで
デットヒートが続く完全な
マッチレース。
抜きつ抜かれつで
ゴール前テンポイントが
抜け出して優勝した。
トウショウボーイは
『天馬』
テンポイントは
『貴公子』
と呼ばれた。
このレースを最後に引退した
トウショウボーイは種牡馬になったが
テンポイントは有馬記念の
翌年、日本経済新春杯で故障を発症。
長い治療をしたが、最後は蹄葉炎で亡くなった。
トウショウボーイも蹄葉炎で1992年に
亡くなった。
これからの有馬記念でも
2頭のマッチレースは見れないだろう。
本当に強い2頭の馬だった。
■スピードシンボリ
第14・15回有馬記念優勝馬スピードシンボリ
1965年中山競馬場でデビューしたが
勝ち上がりは3戦目。
春のクラシック戦も
皐月賞21着
日本ダービーは8着。
真価を発揮するまでに時間の
掛った馬。典型的な遅咲きの馬。
秋の菊花賞は勝ち馬ナスノコトブキと
ハナ差で2着に敗れたが
写真判定が10分以上
続いた際どい勝負をした。
有馬記念は3着。
5歳になり本格化
AJCC・目黒記念と
連勝して天皇賞春で優勝。
これが初8代競走での優勝だった。
続く日本経済賞も勝って4連勝。
その後にアメリカへ遠征。
ワシントンDCインターナショナル5着。
帰国後、有馬記念に2度目の
挑戦するが、カブトシローの4着。
年明けも低迷が続き春は重賞戦に
挑戦したが4着以下に敗れた。
秋は復調してOP戦2勝。
アルゼンチンジョッキーCCに優勝したが
3度目の有馬記念はリュウズキの3着。
年明け春はAJCC2着
目黒記念・ダイヤモンドSに優勝。
2度目の海外遠征に向けて
今度はイギリスに向かい
キングジョージ5着。
ドーヴィル大賞典10着
凱旋門賞11着以下に沈んで
日本に帰国。
長期遠征疲れもあり
引退の話もあったが
4度目の有馬記念に挑戦。
菊花賞馬アカネテンチュウとの
叩きあいを制して
初の有馬記念優勝。
8歳シーズンも現役を続行。
AJCCでは日本レコードタイムで
優勝し、宝塚記念もレコードで
優勝した。
5年連続の有馬記念では
昨年2着のアカネテンリュウが
1番人気になったが
2年連続での叩きあいを制して
スピードシンボリが優勝した。
この時は私もアカネテンリュウが
強いと想っていたが
最後まで抜かせなかった。
8歳馬の優勝。
年々、強くなるような馬だった。
引退し種牡馬としては
成功したとは言えないが
シンボリルドルフなど
母父としての活躍馬は
多くいる。
息の長い高齢になって
強くなった馬の代表的な
スターホース。
■シンザン
第10有馬記念回優勝馬シンザン
1963年11月にデビューして
3連勝。調教師武田氏の評価は
高くなかった。
阪神3歳Sも回避し、
強い馬とは戦わせていないことから
評価は低いまま3歳時(現2歳)を終えた。
武田厩舎には血統馬が何頭も
いたが、主戦ジョッキー栗田騎手は
前年の日本ダービー馬コダマよりも
上かもしれないとシンザンの騎乗を希望した。
年明けに4連勝を飾ったシンザンだったが
スプリングステークスでは
主戦の栗田騎手がシンザン。
調教師はオンワードセカンドに栗田を騎乗
させたかったが、シンザンに騎乗して
優勝した。
調教師武田はシンザンに詫びた。
皐月賞は1番人気に支持されて
優勝。
日本ダービー前にOP競走に出走し2着
に敗れたが、日本ダービーでは
宿敵ウメノチカラに一旦は
抜かれたが、抜き返しての優勝。
夏は自厩舎で調整されたが
7月に猛暑で夏負けになった。
体温が平常より5〜6度高くなり
汗もかかなくなった。
10月にターフに帰ってきたが
OP戦2着。京都杯2着。
菊花賞では2番人気になった。
レースは牝馬3冠を目指した
カネケヤキが大逃げを見せ
道中で
■カネヒキリ
は20馬身以上つけたが
直線で一旦先頭にたった
ウメノチカラを交わして優勝した。
『シンザン、どうした3冠はもうだめだ』と
実況にあったが、仕掛けを遅らせた
完勝の一戦だった。
戦後初の3冠馬に輝いた。
翌年は天皇賞春を目標にしていたが
前脚と後ろ脚がぶつかり
後ろ脚のツメを痛めて回避。
蹄鉄を工夫された『シンザン鉄』も有名な話だ。
宝塚記念で優勝し、
天皇賞秋で優勝。
当時は一度、天皇賞を勝つと
2度目の出走はできなかった。
有馬記念は引退レースと最終的には
なった馬だったが、海外遠征プランもあった。
有馬記念は加賀騎手が騎乗した
ミハルカスが4角で馬場の外に持ち出し
その外の持ち出されてテレビ画面から
シンザンが消えている。
『シンザンが消えた』と実況があったほど
外埒沿いを回しての優勝だった。
翌年、東京競馬場・京都競馬場で引退式をした。
この後は『シンザンを超えろ』と
何年も言われた続けた馬。
産駒には
ミナガワマンナ(菊花賞)
ミホシンザン(皐月賞・菊花賞)
がいる。
■有馬記念の創設
1955年まで暮れの中山競馬では
中山大障害が看板番組だったが
日本ダービーと比べると
華やかさに欠けると
当時の日本競馬会理事長
有馬頼寧氏が中山競馬場で
大レースを計画し
競馬ファンがより親近感を
もてるようにファン投票による
オールスターレース方式による
第1回中山グランプリとして
12/23に行われた。
第1回優勝馬は
メイジヒカリ。
前年の菊花賞。
この年の天皇賞春の優勝馬。
ファン投票1位だった
キタノオーはその年の
菊花賞馬だったが2着に敗れた。
第2回はファン投票1位の
ハクチカラが優勝した。
翌年1/9に有馬頼寧氏が急逝し
数々の功績を称えて
第2回以降は『有馬記念(グランプリ)』
と名称が変更になった。
第1回から第10回までは
中山芝2600m戦で行われていたが
第11回からは今の芝2500m戦。
八大競走の中で唯一開催場の
変更がないレース。
明日は第10回優勝馬シンザン
■フジキセキ
第45回朝日杯優勝馬フジキセキ
サンデーサイレンス初年度産駒
デビュー戦は新潟芝1200m
出遅れたが2着馬に8馬身差の
快勝。消耗を防ぐため
夏はこの一戦だけで
休みに入った。
この年はサンデーサイレンス産駒が
もの凄い勢いで勝ち上がり
『サンデーサイレンス旋風』と
評された。
2戦目は10月のもみじS
2戦目からは角田騎手が手綱を取り
終始、馬なりのレコード勝ち。
2着は翌年の日本ダービーを
制したタヤスツヨシ(サンデーサイレンス産駒)
迎えた3戦目朝日杯は
掛り気味に先行したが
最後の直線は楽に先頭に立ち
追い込んだスキーキャプテンを
クビ差退けて優勝したが
鞭も使わない楽勝だった。
春は弥生賞からスタート
番手に付けて直線は
2着馬ホッカイルソーに
抜け出されたが、差し返しての
勝利。最後の100mで
2馬身半差つけての優勝。
皐月賞前に屈腱炎を発症して
引退したが、サンデーサイレンス産駒で
一番強い競馬をしたのは
ディープインパクトより
この馬だったかもしれない位の
強い馬だった。
クラシック戦は戦えなかったが
幻の3冠馬。
この年の皐月賞はジェニュイン。
日本ダービーはタヤスツヨシ
サンデーサイレンス産駒が圧倒した。
種牡馬としても優秀で
カネヒキリを始め8頭の
G1馬を輩出。
産駒の通産勝利数は
内国産種牡馬の歴代トップ。
■ナリタブライアン
第45回朝日杯優勝馬ナリタブライアン
1つ上のお兄さんに
ビワハヤヒデがいて
デビュー前から期待が高かった馬
デビュー戦は函館で2着に敗れたが
折り返しの新馬戦1着。
函館3歳S6着
きんもくせい特別1着
デイリー杯3歳S3着
安定した成績を残せなかったのは
気性の問題を抱えていたため
レース前になると異常に
イレ込みを見せたり
怖がりな一面もあった馬
6戦目の京都3歳Sからは
シャドーロールを着用してからは
安定感抜群の競馬を披露した。
レコード勝ちで勝利した
京都3歳Sから
迎えた7戦目、朝日杯は
1番人気に支持され
2着馬に0.6差つけての快勝。
共同通信杯ースプリングS-
皐月賞(レコード)ー日本ダービーを
連勝。
秋初戦は神戸新聞杯で
スターマンに敗れて2着。
菊花賞は(レコード)優勝して
3冠馬となった。
有馬記念にも優勝。
半兄ビワハヤヒデとの
対決はなかったが、
兄より高いパフォーマンスの
競馬を見せた馬だ。
翌年、春の阪神大賞典に
優勝後、右股関節炎を発症し
天皇賞春は断念した。
秋は故障明け秋の競馬で
結果を出せなかったが
翌年春にマヤノトップガンとの
阪神大賞典はマッチレースになり
ハナ差でナリタブライアンが
勝利した。
最後のレースは何と
芝1200m戦の
高松宮記念。
4着に頑張ったが
その後、故障を発症し引退した。
ブライアンズタイムの初年度産駒
ナリタブライアン。
ヘイルトゥリーズン系が活躍した代表馬の1頭。
97年から種牡馬として
活躍が期待されたが
98年に腸捻転を発症して亡くなった。
■リンドシェーバー
第42回朝日杯優勝馬リンドシェーバー
優勝馬の中では地味な馬だが
取り上げたのには
深い訳のある馬。
リンドシェーバーは
父アリダー。
母父クールムーン(ネアルコ系)
アリダーはレイズアネイティヴ系
現在ではミスタープロスペクター系が
活躍しているので
この血統は芝・ダートで走れているが
当時はダート血統馬と想っていた。
それまでの日本の活躍馬は
欧州から輸入されてきた
種牡馬は芝で活躍する馬。
ナスルーラ系やノーザンダンサー系が
主流だった。
持ち込み馬の
リンドシェーバーがレイズアネイティヴ系で
芝でも通用することを証明した馬でも
あった。
7月の札幌デビュー戦を
8馬身差で快勝。
函館・クローバー賞は
不良馬場で着差は開かなかったが
1着。
函館2歳S2着。
ソエの影響もあり敗戦。
休ませて朝日杯に挑戦し
1.34.0秒のレコード勝ち。
マルゼンスキーが樹立した
レコードタイムを14年振りに更新した。
阪神3歳Sを同じくレコード勝ちした
イブキマイカグラも
JRA最優秀3歳馬に挙がったが
圧倒的の得票差で
リンドシェーバーが最優秀3歳馬に
輝いた。
更に、現役馬としては異例の
9億円のシンジゲートが組まれた。
朝日杯のレコード勝ちは
高く評価された馬。
翌年はヒヤシンス賞は
勝ったが、弥生賞は
イブキマイカグラの2着。
次に向けて調整されたが
調教中に骨折が判明し
9億円のシンジゲートも
組まれていたため引退して
種牡馬入りした。
種牡馬としては成功はしなかったが
競馬のあり方、見方などを
教えて貰った、記憶に残る馬だった。
明日は3冠馬ナリタブライアン。
■朝日杯創設
1949年関東所属の2歳(旧3歳)の
チャンピオンを決める朝日杯として
創設。中山競馬場芝1100mとして行われた。
59年からは芝1200m戦で行われた。
62年から芝1600m。84年からG1となった。
G1となってから
メリーナイス・サクラチヨノオー・
アイネスフウジン・ミホノブルボン・
ナリタブライアン
と5頭の日本ダービー馬を出して
クラシックの登竜門と言われていた。
第28回優勝馬マルゼンスキー
母シルは名種牡馬バックパサーと
全米牝馬チャンピオンであるクィルとの
間に生まれた血統馬。
アメリカのキーンランドセールで
ニジンスキーの子をやどしている時に
セールで橋本善吉氏が落札した。
橋本氏はスピードスケートで活躍した
橋本聖子の父。
マルゼンスキーは日本で生まれた
持ち込み馬になる。
生まれた時から脚が外向していて
競走馬としてデビューできるかも
不安があったが、10月の中山戦で
大差勝ちを飾った。
いちょう特別ー府中3歳Sと連勝し
4戦目で朝日杯に挑戦。
1.34.4秒のレコード勝ちで2着馬に
大差勝ち。
当時は持ち込み馬はクラシックには
出走権利がなかった頃で
日本ダービーには出走できなかったが
『28番枠でも構
■カネヒキリ
わないから出走させて欲しかった』
と主戦ジョッキーの中野渡騎手の言葉は
有名だ。
ひとつ上の世代にはトウショウボーイ
・テンポイントと歴史的名馬との
対決もなかった馬だったが
マルゼンスキーを一番強いと
思っているファンも多い。
『超特急』や『スーパーカー』とも
呼ばれた馬。
8戦8勝。レコード2回。
大差勝ち2回。
9・10馬身付けて快勝した
レースは本当に強い競馬を
見せてくれた馬だった。
明日は第42回リンドシェーバー。
■テイエムオーシャン
2000年阪神牝馬S優勝馬テイエムオーシャン
8月の札幌デビュー戦ー500万下(1200m)
を連勝して、札幌2歳Sに挑戦
ジャングルポケットの3着に敗れた。
休み明けで阪神3歳牝馬Sに
出走して優勝。
翌年のチューリップ賞も圧勝して
桜花賞も快勝した。
母リヴァーガールは1勝馬だが
祖母エルプスは桜花賞馬
祖母・子での優勝となった。
オークスは3着に敗れたが
直線で追い出しを我慢した一戦。
デビューから引退するまで
本田優騎手が手綱を取った馬だったが
この時は本田騎手に対する批判もあった。
秋は初戦で秋華賞を向かえ優勝。
オークスから秋華賞へ直行して
優勝したのはこの馬だけ。
エリザベス女王杯5着
有馬記念6着に敗れて休養。
復帰は夏の札幌記念
プラス38キロで出走し優勝した。
古馬になってからは牡馬混合戦が
中心に使ったが活躍はできなかった。
2・3歳時の強さは別格だった馬。
デビューから引退まで
同一ジョッキーが騎乗した馬で
好きな馬だ。
現在は繁殖牝馬となったが
産駒には大成した馬はいない。
祖母エルプスも産駒には
恵まれなかったが
注目したい血統だ。
■ビワハイシ
1995年優勝馬ビワハイジ
デビュー戦は6月札幌芝1000m戦。
単勝1.5倍の人気に応えて1着。
当時は芝1200m戦の
札幌3歳Sに優勝し2連勝。
約4ヶ月振りとなった
阪神3歳Sは4番人気となったが
エアグルーヴを半馬身差退けて
逃げ切り勝ち。
3戦3勝でG1制覇。
春はチューリップ賞から始動して
1番人気になったが
エアグルーヴに5馬身差つけられて
敗戦。
桜花賞は体調不良もあり
15着に敗れた。
次はオークスかと思ったが
陣営はオークスではなく
日本ダービーを選択したが
見せ場なくフサイチコンコルドの
13着に沈んだ。
日本ダービー後に骨折が判明し
長期休養を余儀なくされ
約1年半の休み明け
カシオペアS5着で復帰。
エリザベス女王杯7着
阪神牝馬特別7着
年明けの京都牝馬Sで
同期の桜花賞馬ファイトガリバーを
下して優勝したが
レース後、脚部不安で引退した。
繁殖牝馬になってからは
活躍馬を送り出す優秀な成績
アドマイヤジャパン(皐月賞3着・菊花賞2着)
アドマイアヤオーラ(弥生賞)
ブエナビスタ(阪神ジュベナイルS母子制覇)
トーセンレーヴ
ジョワドヴィーヴル
今年ジョワドヴィーヴルが優勝すれば
阪神ジュベナイルフィリーズ
2度目の母子制覇になる。
現役時代は故障にも悩まされた馬だったが
繁殖として成功した名馬。
■ヒシアマゾン
1993年ヒシアマゾン
米国で生まれ日本で調教された
最強牝馬と言ってもいい馬。
デビュー戦は中山ダート1200m
着差はつかない一戦だったが
2戦目プラタナス賞(ダート1400m)2着
京成杯2歳Sで初芝でも2着。
阪神3歳牝馬Sは5馬身差の圧勝劇。
明けて4歳になったが
当時は外国馬にクラシックの出走権利がなく
京成杯は2着に敗れたが
クイーンC-クリスタルCーNZT4歳と
春は3連勝。
秋にクイーンS-ローズSに優勝し
重賞5連勝でエリザベス女王杯に
出走して優勝し6連勝。
当時のエリザベス女王杯は4歳馬だけの
戦い。オークス馬チョカイキャロルを
ハナ差制しての優勝だった。
有馬記念に挑戦したが
3冠馬ナリタブライアンには
敗れたが2着。
翌年はアメリカ挑戦したが
脚部不安で日本に帰国。
復帰初戦の高松宮記念(2000m)
は5着に敗れた。
秋にオールカマーー京都大賞典と
連勝してジャパンカップに挑戦して
ランド(独)の2着だった。
この頃は牡馬と牝馬の力差が
かなりあったので
ヒシアマゾンは相当強い牝馬だった。
今日はビワハイジも書くつもりだったが
明日にします。
■阪神ジュベナイルフィリーズの創設
1949年に関西所属の2歳(旧3歳)の
チャンピオン決定戦として行われたレース。
この頃は牡牝馬混合戦で行われていた。
コダマ・マーチス・タニノムーティエ
キタノカチドキ・テンポイント・サッカーボーイ
など、関西出身の歴史的名馬の登竜門だった。
1991年牡馬と牝馬の2歳(旧3歳)チャンピオン決定戦を
明確にするという理由でこの年から
阪神3歳牝馬ステークスとして施行された。
1991年の優勝馬はニシノフラワー。
札幌デビュー戦を勝利して
札幌3歳S-デイリー杯3歳S-阪神3歳牝馬S
4連勝での優勝だった。
チューリップ賞はアドラーブル(オークス馬)の
2着に敗れたが、桜花賞は優勝した。
オークスは7着に敗れたが
秋はローズS4着。エリザベス女王杯3着から
暮れのスプリンターズSに挑戦して
3歳牝馬での優勝だった。
産駒には恵まれなかったが
距離が長い競馬でも頑張って
走った馬だった。
明日はヒシアマゾンと
ブエナビスタのお母さん
ビワハイジ。
■カネヒキリ
第6回ジャパンカップダート優勝馬カネヒキリ
デビュー戦から2戦は芝を使い
敗れたが、3戦目からは
ダート戦を使い圧勝。
毎日杯(芝2000)は7着を挟み
端午Sでは2着馬に9馬身差。
東京ユニコーンSも快勝し
ジャパンダートダービーで
初G1制覇。
この頃から同期で馬主・主戦ジョッキー
が同じだった
砂のディープインパクトと呼ばれ始めた。
秋初戦の初古馬相手武蔵野Sは
出遅れて2着。初のダート戦での敗戦だったが。
ジャパンカップダートでは
2着シーキングザダイヤ(森厩舎)
3着スターキングマン(森厩舎)
と壮絶な叩き合いを制し優勝した。
翌年、ドバイWCに挑戦するも
5位入線4着。
帰国後、南部杯に向けて調整されたが
屈腱炎を発症して長期休養を余儀なくされた。
1年掛りで復帰する予定だったが
そこも屈腱炎が再発し休養。
2年4ヶ月振りに武蔵野Sで復帰したが
終始掛り気味の競馬で9着。
次に向かったのは
第9回ジャパンカップ。
武豊騎手が骨折してルメール騎手に
乗り替わり。
4番人気の低評価だったが
2度目の優勝。
2年9ヶ月振りのG1制覇となった。
第6回は東京競馬場。
第9回は阪神競馬場
2度のジャパンカップダート優勝馬は
この馬だけだが、
違う競馬場で同G1勝ちしたのは
価値の高い競馬だった。
屈腱炎や骨折。
故障もありながら復帰して
強い競馬を見せてくれた馬だ。
■フリートストリートダンサー
第4回ジャパンカップダート優勝馬フリートストリートダンサー(米国)
この年は東京競馬場が改装されて
行われたジャパンカッダート。
朝から凄い雨で開門前の早い時間から
並んで寒い想いをしたので
覚えています。
アドマイヤドンが圧倒的
1番人気。
本命馬に逆らいたい私でも
この時は堅いと想っていました。
これまでにジャパンカップダートに
挑戦した外国馬はそれなりに
強い馬が来てたのですが
フリートストリートダンサーは
重賞勝ちもない5歳セン馬。
11番人気の低評価。
後にも先にもジャパンカップダートで
外国馬の連対もないのに
どうして走ったのか不思議な馬です。
ジャパンカッダートの後は
ドバイWCに挑戦したが7着。
セン馬なので今はどこで
なにをしているかも分からない馬。
アドマイヤドンは結局ジャパンカップダートは
勝てないで種牡馬となった。
レースはハナ差勝ちでしたが
3着以下は5馬身差。
強い競馬でした。
■クロフネ
第2回ジャパンカップダート優勝馬クロフネ。
この年はアグネスタキオン
ジャングルポケットと
2歳時から活躍したクロフネ。
新馬戦は2着に敗れたが
2戦目に勝ち上がり
3戦目エリカ賞でレコード勝ち。
ラジオNIKKEI賞2歳Sで
1着アグネスタキオン
2着ジャングルポケット
に破れ3着だった。
デビュー戦から芝を使われて
3歳春にはNHKマイルで
圧倒的1番人気になり
優勝した。
秋は神戸新聞杯3着したが
当時は菊花賞の出走は外国産馬には
開放されてはいたが、
3着の出走権利は国内馬だけだった。
天皇賞秋に出走表明したが
天皇賞秋も外国産馬は2頭まで。
アグネスデジタルが急遽、出走することになり
クロフネは初ダート戦
武蔵野Sに出走した。
武蔵野Sでは1番人気に支持され
道中早めにスパート
直線では2着馬イーグルカフェに
9馬身差の圧勝。
勝ちタイムは1.33.3秒。
ダートの日本レコードをマークした。
芝よりも高いダート適性があった一戦だった。
次に目指したのはジャパンカップダート。
距離が2100m戦。
そこでも昨年の優勝馬
2着ウイングアローに7馬身差を
つけて圧勝。
2100m戦の勝ちタイムは
世界レコード2.05.9秒。
天皇賞秋を制した
アグネスデジタルも香港Cを制し
外国産馬が強かった年とも言える。
クロフネは年末に浅屈腱炎で引退。
ドバイWCに挑戦はできなかった。
■第一回ジャパンカップダートの事
ジャパンカップの前日、土曜日に開催された。
レギュラーメンバーが速いペースで逃げて
アメリカン的な流れ。
優勝は後方から追い込んだ
ウイングアロー。
その年のフェブラリーSの
優勝馬だったが4番人気だった。
2着も追い込んだ
サンフォードシチー。
2番手からレースを進めた
米国馬ロードスターリングが3着。
追い込んだ2頭の馬からは離されたが
速い流れを考えれば相当に
強い競馬をした馬だった。
この年はカナダからユーカー(8着)
も参戦して2頭が出走していた。
馬券は外したが、
もう12年も時が過ぎたのですね。
明日は第2回クロフネ。
■ジャングルポケット
第21回ジャパンカップ
この年の世代も強い馬がいた。
アグネスタキオン
クロフネ
マンハッtンカフェ
日本ダービー馬がその年に
ジャパンカップを制したのは初。
このレースは1着〜5着馬まで
日本馬が独占。これも初のことだった。
レースは直線覇早めに前年の優勝馬
テイエムオペラオーが先頭に立ったが
外からジャングルポケットが差し切った。
ジャングポケットのお父さんトニービンは
1988年ジャパンカップに挑戦して5着。
パドックで外国馬を観てきたが
トニービンを始めて見た時は
これがサラブレッドと惚れ込んで
大きく単勝馬券を買った馬だった。
ジャングルポケットは東京コースの得意な馬で
通産5勝(東京3勝)
デビュー戦と札幌2歳Sの
デビューから2戦が札幌で勝利
他は東京戦にしか勝ち星がない。
ジャパンカップ勝利の翌年は
東京競馬場は改修工事になり
ジャパンカップも中山で開催。
東京だったら連覇もあったと思う馬だ。
■エルコンドルパサー
第18回ジャパンカップ
1998年エルコンドルパサーが優勝。
この年は今から考えれば一番強い世代の馬たちが
いた年と言っても過言ではない世代だろう。
同世代には
グラスワンダー
スペシャルウィーク
キングヘイロー
ひとつ上の世代には
サイレンススズカ
タイキシャトルがいる。
優勝したエルコンドルパサーは
毎日王冠でサイレンススズカの2着。
NHKマイルまで5連勝して
初の敗れた一戦。
ジャパンカップは距離が微妙と
思われていた馬で3番人気。
レースでは4番手に付けて
力強く抜け出して完勝だった。
2着エアグルーヴに2馬身半差。
これまでのジャパンカップで最大着差を
付けて快勝した。
この優勝が日本馬3歳馬の初優勝となった。
3着は翌年優勝した3歳馬スペシャルウイーク
翌年は海外遠征して
外国で調整されて凱旋門賞2着。
この馬の成功がなければ
今の日本馬の海外遠征も長く滞在はしなかっただろう。
■ホーリックス
第9回ジャパンカップ
数々の名レースもあるジャパンカップだが
世界レコードで決着した第9回ジャパンカップは
凄い戦いだった。
優勝はオセアニア代表ホーリックス(牝7)。
このレースは凱旋門賞を制したキャロルハウス(愛)
オークツリー招待ハンデで世界レコード(2400m)で
優勝したホークスター(米)も参戦。
前年のジャパンカップ優勝馬ペイザバトラーも出走。
日本馬はオグリキャップ・スーパークリーク。
レースはイブンベイとホークスターが
競り合い速い流れ
5F-58秒。
1800m通過は当時のレコードタイムよりも
速いペースだった。
3番手追走のホーリックスが直線で
早めに先頭。
差し競馬になると想ったが
脚いろは衰えず、押し切り優勝。
クビ差2着に日本馬オグリキャップ。
オグリキャップは秋は4戦目
毎日王冠1着
天皇賞秋2着
マイルCS1着
マイルCSから連闘での挑戦だった。
強かったオグリキャップだが
私自身はこのレースで敗れたが
オグリキャップの1番強い競馬だと
想っている。
速い流れを早めに先頭、押し切ったホーリックスは
その後は繁殖牝馬になったが
産駒は大成した馬はでなかった。
この世界レコードタイムは10年間、
1999年まで破られることはなかった。
東京競馬場でのコースレコードは
2002年に馬場改装するまで
破られていない。
2005年にジャパンカップ
アルカセットがコンマ1秒速いタイムで
制するまで続いた脅威のレコードタイムだった。
■第一回からのジャパンカップの事
第1回から観ているが
初のジャパンカップは
世界との力差を感じた競馬だった。
何十年が経っても日本馬は敵わないと
思ったが、
近年は日本馬も強くなり
互角以上の戦い。
第1回の日本馬最先着は
地方馬出身ゴールドスペンサー5着。
第2回の最先着も
地方出身ヒカリデュール5着。
第3回で初めて中央馬
キョウエイプロミスがアタマ差2着。
キョウエイプロミスはゴール後
右前脚繋靭帯不全断裂で競走馬として
引退を余技なくされた。
日本馬の初勝利は
第4回カツラギエースだったが
第5回シンボリルドルフは
雨馬場でも1番人気に応えて
優勝したのが、今でも思い出す。
前年のシンボリルドルフは無理使い
当時は菊花賞とジャパンカップは
中1週の競馬。
無敗の3冠馬が敗れた
私にとっては悲しい出来事だったが、
翌年は天皇賞秋は2着。
秋初戦の競馬でジャパンカップを目標に
仕上げられた。
ジャパンカップは圧勝での勝利だった。
そこから6年間、日本馬の優勝はなかったが
第12回ジャパンカップは
シンボリルドルフの息子
トウカイテイオーが優勝した。
■メジロマックイーン
父メジロティターン。祖父メジロアサマと3代連続で3200m戦の天皇賞を制覇した。メジロマックイーンは春のクラシックには間に合わず、90年菊花賞を制覇し、一躍踊りでた馬だったが5歳春(現4歳)の天皇賞でその強さを本物にした。秋の天皇賞は2000m戦、13番枠からスタート後内に切れ込み圧勝したが18着と失格。翌年の天皇賞春を2連覇。同時代に人気のあった同馬主メジロライアンに宝塚記念は敗れた。3連覇の架かった天皇賞春はライスシャワーに敗れ、宝塚記念は優勝した。当時のメジロ牧場は天皇賞を勝つために馬造りをしていたが、メジロマックイーンは浦賀の吉田堅牧場で生まれている。母メジロオーロラは現役時代24戦1勝。決して褒められる成績は残していない馬だった。メジロマックイーン産駒が天皇賞春を勝てば4連覇。09年産駒は2頭しか種付けしていないそうだが、応援したい。
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